ある職場で、突然体調を崩して休んだ方がおられたそうです。
病院で、発達障害の診断を受けたとのこと。
その後、職場はどう対応したかというと・・・
その職場は、専門の方を呼んで発達障害の研修を行ったそうです。
研修の中で、「本人が困り感を感じていなければ、発達障害ではない。」
というような専門家の言葉があったそうです。
確かに、発達障害はスペクトラムだということ。
環境や求められる仕事によって体調を崩すほど困ってしまう場合もあれば、そうでもない場合もあること。
配慮によって困り感が補われれば能力を発揮しやすいので、職場に適切な配慮が大切だという意味だったのかもしれません。
障害は本人にあるというより、社会が作るものだという意味だったのでしょう。
でも、文字通り受け止め得ようとすれば、多くの人は混乱したでしょうね。
だって、視覚障害のある方は、いくら点字や読み上げソフトなどの配慮があって仕事上困らなくたって、
障害者であることは変わらないでしょう?
発達障害は、違うの?
ってモヤっとした方、いると思います。
その方は、仕事の優先順位をつけるのが苦手だそうです。
あるあるだなあ( ^ω^)・・・
対処として、その方に担当者をつけたそうです。今すべき業務、後からでもいい業務をアドバイスしてもらえますね。
また、その方は嗅覚の過敏があって、ある特定の方のにおいがダメなんだそうです。
部屋にその方を含む何人かが集まる会議の時は、無理せず途中で切り上げて良いという配慮が決まったとのこと。
このような配慮、皆さん納得して受け入れたのでしょうか?だといいなと願います。が、
「言ったもん勝ちだよね・・・」という空気もあったとか。
会議って、多くの方は避けたいと思っているでしょうから。
臭いがムリだからって、そんなの理由になるの?
と思った方もいると思います。
大人の発達障害って言いますが、
大人になって発症する人はいません。生まれつきです。育て方や生育環境とも関係ありません。
〈発達障害〉とは子どもに使う言葉なので、その方は生まれながらに発達障害を持って大人になった。
診断を受けたときに大人だったから、〈大人の発達障害〉となっただけのこと。
その方、突然体調を崩して会社に来られなくなったということですが、
突然なんて、ちょっと違います。発達障害は突然発症するものではないから。
本人はずーっと耐えてきたのでしょう。遡れば、子どもの時から。
限界が来てしまった。それは、周りからすると、突然に見えるのかもしれません。
発達障害の困り感は、多少なりとも誰もが持っているもの。
だからご本人は周りにも気づかれず、本人自身も気づかずに頑張ってきたのかも。
でも、多くの方が感じるような困り感とは比べ物にならないほどの、耐えがたいものだそうです。
その証拠に、この方は体調を崩したわけです。
会議を途中で切り上げてもいいという、素晴らしい合理的配慮も、
ご本人の気持ちを思うと気の毒になってしまいました。
配慮を受けなかったら、体調を崩すほどのツラい状況だったとしても、
もう少し頑張れたのではないか、周りにずるいと思われるんじゃないか、分かってもらえないはずだ、と悩んだはずです。
配慮を求めることは究極の決断だったかもしれません。
この方、仕事はバリバリできるそうです。
この例に続いて、他の困っている方が会社に配慮を求めやすくなるといいなと思います。
究極の決断をしたことが、少しは報われるかな?
困り感を抱えながら仕事をしている人は、全体の1割いると言われます。
これは、小学校1年生の発達などに心配のある児童の割合と同じです。
ほとんどの方が障がい者枠ではなく、一般の枠で入社しています。
実際に職場で発達障害を理由に適切な配慮を受けている方は、1割もいません。
周りの同僚の中にも、困り感を抱えながら誰にも言わずに頑張っている方が結構いるはず。
本人は、子どもの頃からそうだったから、そんなものだと思って耐えているのかもしれません。
職場での合理的配慮が特別なものではなくなる日が来るのでしょうか?
体調を崩すまで耐え抜いて、やっと受診して診断されたなんて事、
昔話になってほしいなあ。
環境は、人。
困っていたとしても、分かってくれる人がいるのが何より大事だって言いますよね。
今、私の周りには、困り感をカミングアウトした時に分かってくれる人がどれくらいいるのかな?
逆に、私は周りの人にどれほど心を寄せることができるかな?
そんなことを考えてしまいました。
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