昨日、星に語りて を観てきました。
映画から一日経って、いろいろな思いが浮かんできましたよ~。
東日本大震災の後、 全国障害者ネットワークでは、東京、秋田、福岡など全国の障害者団体が連携して支援活動をしようとするのですが、多くの避難所を回っても、障害のある人がほとんど居ないという状況に直面したそうです。
「障害者が消えた!?」 というシーンがありました。
福島の原発事故で避難勧告が出された地域でも、障害者は半壊した自宅にとどまり、思うように支援を受けられず取り残されていたそうです。
安否確認のための障害のある人の氏名、住所などの情報が必要だったのですが、行政からは個人情報保護を理由に開示されませんでした。
法律により守られた人権は、支援の壁になったのですね。
この震災で、障害者はどのように扱われたのか。
自分の生活のために、たとえ我が子であっても見捨てる親御さん。
避難所での、白い眼と差別による肩身の狭い思い。
未曾有の災害により皆が被災者になってしまった状況では、仕方ないのでしょうか?
時々メディアに取り上げられる障害者の頑張るストーリーは、「感動ポルノ」とも言われることがあります。
健常者にとっての感動の材料であり、健常者にとって都合のいい障がい者像。
発達障害の子供に、「いろいろと不得手があっても、みんなに愛されるキャラだといいよね」と言う周りの人たちがいて、私も同じように思っていた時期もあります。
それ自体が、健常者目線だということなのにね。
2016年4月に起こった熊本地震の際、益城町にボランティアに行きました。
熊本は両親の故郷で、親せきもいるのです。
阿蘇の山々にバリバリと亀裂が入り、熊本城が崩れた映像をテレビで見て、
この風景を目の当たりにした発達障害のお子さんたちがパニックになっていか?
体育館などの大人数が集まる避難所では、発達障害のお子さんは厳しいだろう。どこでどうやって過ごしているんだろう?
などいろいろと心配でした。
ボランティアで割り振られた仕事は、社協の方と街をまわり、介護の必要な高齢者の安否確認のため、自宅をを訪問することでした。
社協の方は、名簿を元に地図を見ながら場所を確認できていました。
名簿を元に住所を知ることができており、 「熊本市はありがたい。」 というようなことを言っておられました。
こんなふうに名簿を見せてくれる所ばかりではないとも言っておられました。
この映画を見るまで分かりませんでしたが、熊本市では、もしかして3.11の経験が教訓になったのかもしれませんね。
映画の後半、 支援センターの方たちは障害者だけではなく、全ての被災者を対象として支援をすることになるというシーンがありました。
去年、県内では台風により甚大な被害が出ました。
南房総では特に被害が大きかったのですが、そこで障害者支援をしておられた方が 「普段は、困り感を抱えているのは障害者だけど、災害時はみんなが困っている。障害者も健常者もない、という状況が印象的だった」とおっしゃっていたのを思い出しました。
近隣のある自治体では、災害時にはまず近くの避難場所に行き、それから福祉避難所へという流れになっていると聞きました。障害者を連れて、災害時に複数の避難所をはしごするのは大変な負担だそうです。
また、別の自治体は、住民全員に災害時のニーズをあらかじめ把握しておくために、調査が始まっているそうです。
この映画を通して何を学び、自分事としてとらえてこれからにつなげるか、 忘れるヒマもないほど、ここのところ災害が頻繁です。
つながるココで防災をやりたい、と以前言ったきりになっている・・・思い出した。
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